エヴァと私。

エヴァンゲリオンが遂に完結する。
  
時に1995年。私はエヴァに出会ってしまった。
アニメーションは嫌いでは無かったが、特にアニメファンでもなかった私。当時は24歳の大学院生だった。
忘れもしない10月4日水曜日。たまたま早く帰宅した私は、たまたま新聞のTV欄を見て、「(新)新世紀エヴァンゲリオン」を見付ける。これを虫の知らせと言うのだろうか。観なければいけない気がして、おもむろにビデオデッキの予約を入れ、18時半から視聴を開始。
今や誰もが知ることになった「残酷な天使のテーゼ」の曲とともに、衝撃的なオープニングが始まる。恐らくこの時点で、私の心は八割方エヴァに獲り込まれた。エヴァの呪縛の始まりだ。
  
それからの半年間は、水曜日の18時半を中心に回っていたと言っても過言ではない。謎を呼ぶ謎、張り巡らされた伏線、登場人物の心理描写、緊張感のある人間関係、スタイリッシュな絵作り、心を突き刺す音楽。全てが刺激的で、私の全てを支配した。特に惣流・アスカ・ラングレーには感情移入するしかなかった。
  
そして、あの最後の二話。
魂が抜けたような喪失感を味わった。怒りは無かったが、フワフワするような、心が消えてしまったような、そんな感じだった。感情のやり場を完全に失っていたのだろう。少し前に流行った言葉にするならば「エヴァロス」なんだろうが、ロスどころではなく、全てが蒸発して乾ききってしまったかの様な感覚だった。
  
そんな人たちは大勢いた。世間はWindows95が発表され、インターネットの黎明期だったが、まだまだ極一部の人のものであったことは間違いない。当然TwitterFacebookYoutubeもなく、2chすら無い時代だ。高額な電話回線に怯えながら23時からのテレホーダイを最大活用して深夜にネットに繋ぎ、ようやく普及が始まったISDNの速さに感動するような時代だ。それでも、今は無きNiftyサーブの会議室や、各所に散発的に発生した大手ファンサイトの掲示板、fj(ニュースグループ)などでは、何かを言わずにいられないファンたちの熱い議論が交わされていた。
そしてかなりのファンたちが、そのぶつけどころのない情熱を、ファンフィクションと言う名の二次創作に投じていた。私もその一人だった。

(余談ではあるが、私の妻はアニメーションとは全く縁がない一般人だったのだが、何の因果かエヴァ接触し、虜になり、エヴァの情報をネットから得るために初めてPCを買ったそうだ)
  
その二年後。「春エヴァ」こと「劇場版・シト新生」が封切られる。
TVで語られなかった最終二話の話になるはずであったが、直前になって、「本作では完結しない、夏公開の作品まで待って欲しい」とのアナウンスがされた。それすらもエヴァだった。
当然のように封切日に観に行った。そして、「魂のルフラン」の曲に乗せて直上をクルクルと旋回する9機の量産型エヴァと、それを見上げる惣流・アスカ・ラングレーを見届けることになる。
  
更に三ヶ月後。本当に公開されるのかと誰もが思った「劇場版 Air/まごころを、君に ~The End of Evangelion」が公開される。
これについては、私は今なお語るべき言葉が思い浮かばない。決して、面白い、感動できる作品ではない。でも否定も出来ない。したくない。メッセージは痛いほどに伝わってくる、しかしそれを正面から受け止めることが出来ない。あまりに痛かったのだ。
ただ一つだけわかったのは、「エヴァはこれで終わりなんだ」ということだった。
  
時は過ぎた。
エヴァの痛みは過去のものになりつつあった。時折Youtube等で「甘き死よ、来たれ」の音源などを耳にし、当時を懐かしむくらいにはなっていた。
そんな十年後の2007年。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が公開される。
  
複雑な想いだった。終わったつもりだったエヴァ。終わらせたつもりだったエヴァ。それが完全新作されるという。
今更エヴァ?若干引いてみていたのは否定できない。ただ、私の心に刺さったままの小さな棘が、疼くのを感じた。
  
当然のように公開初日に観に行った。
作品は素晴らしかった。一本の映画として完璧なまでにまとまっており、カタルシスもあり、間違いなくエンターテイメントであった。感動した。庵野監督はやっぱりすごいと思った。
ただ、覚めてみていた、もうひとりの私はこうも思った。
「やっぱりエヴァは1997年の夏で終わったんだ」
  
更に二年後。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開される。
当たり前に公開初日に観に行った。一番の驚きは、「式波」・アスカ・ラングレーだったこと。私が気に掛けた「惣流」・アスカ・ラングレーはもういなかった。
「序」に増して、「破」は素晴らしかった。旧作を下敷きにしながらもストーリーを大きく変え、作画もほぼすべてをやり直した本作は、何度観ても鑑賞に堪えうる出来だと思う。旧作の「涙/Rei III」にあたるラストシーンは、展開を知っていて尚、感動を禁じ得ない。
だからこそ思うのだ。これはエヴァなのか?エヴァって何なんだ?
  
それから更に三年。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」が公開される。
義務のように、公開初日に観に行った。
流石に本作では驚かされた。全く予想だにしない展開が待ち構えていた。これはエヴァか?いや、これこそがエヴァか?私は何を見ているんだ?庵野監督は何を伝えたいんだ?
もちろん作品のクオリティには文句はない。怒りもない。有ったのは戸惑いだけだ。
その戸惑いはきっと、旧作に思い入れが強すぎるが故のことだとは思う。そしてまた、心に刺さったままの小さな棘が、チクリと疼くのだ。
  
そして明日。
いよいよ本当に最後だ。当時24歳の学生は、そろそろ50歳になろうとしている。
心に刺さったままの小さな棘は、抜けるのだろうか。溶けるのだろうか。それとも、より深く刺さるのだろうか。
果たして私は、エヴァの呪縛から解放されるのだろうか。