ものを言う日本人に。

日本人は自分で考えて行動することが、極めて不得手です。中世から現在に至るまで変わることは有りません。
それは現在の教育内容を見ても明らかだと思います。学校教育の中で、「自分で考える」ことがどれだけあるでしょうか。
  
それがこの国の構造を決めています。国のやることに文句は有っても、黙って飲み込むのが美徳とされる。何か声を挙げることはタブーとされる。
最近よく聞かれるのが、”この非常時に政権批判している場合ではない”。果たしてそうでしょうか。
  
批判のための批判は害悪ですが、国がやることを粛々と受け入れるだけでは、民主主義の体をなしません。また、民主主義とは多数決ではありません。本来であれば国民全員で協議し、あるべき施策を決めたいところですが、それは現実的ではないので、代表たる国会議員を決める。その議員に議論させる。それが議会制民主主義です。
議員には全権を委任しているわけではないので、議員が誤ったことをやれば(得てして有りがちです)国民は声を上げ、直させなければなりません。
  
よって国民は国会を常に監視する必要があります。残念ながら国会議員にリコール制度は有りませんので、審判は毎回の選挙しかありません。
だから選挙が大切なのです。選挙の時に、自分で考えて行動(投票)することこそが、国を良くする上でなにより大切なのです。逆説的ですが、投票率の低さが自分で考えない国民性を表しているとも言えます。
  
考えることは面倒です。そう、民主主義は面倒なのです。
  
非常時こそ、声を挙げなければなりません。国のやることを監視しなければなりません。正させなければなりません。
  
多くの日本人は、戦前のような世の中にはなるはずがない、と思っています。でも、本当にそう言い切れますか?
東京大空襲の後で、当時の小磯首相はラジオでこう言ったそうです。
  
・敵は、今後ますます空襲を激化してくると考える。敢然として空襲に耐えることこそ勝利の近道である。
・断じて一時の不幸に屈することなく、国民が聖戦目的の達成に邁進することを切望する。
  
あれだけの大惨事の後で、国民に対して言ったことは、『耐えろ』『一時の不幸に屈するな』だけです。
でもこれ、今も大して変わらないと思いませんか。極めて緊迫した事態が目の前に迫っているのに、今の政府は『自粛を』『協力を』としか言いません。つまり『耐えろ』と言うだけです。現実を見ず、戦略もなく、根拠もない。根本的には同じです。グランドデザインの欠片もありません。
  
ただ、当時と違うのは、我々には声を挙げる自由があることです。この自由を自ら放棄する愚行を、決して行ってはなりません。
  
皆さん、声を挙げましょう。
ひとりひとりが考えて、声を挙げる。それがこの国をよくする、唯一無二の方法です。
時には衝突するかもしれませんが、議論すべきは主張であり、人格ではないのです。議論の後には握手すればいいのです。
最後に、こういう時だからこそ、甘言には気を付けましょう。甘い言葉を使う救世主には要注意です。