3月11日(金)のダイジェスト 後編

まずはガソリンが無いと始まらないので、営業しているスタンドで満タンにします。近場のコンビニで、当座の飲み物と食料を仕入れました。
地震発生から1時間半ほど経った頃、携帯にメールが届きました。ヨメからです。
地震発生時は電車に乗っており、今も電車内で缶詰にされているとの事でした。缶詰は心配ですが、まずは無事が確認出来たので一安心です。
しかし帰宅には困難が伴うことが、容易に想像出来ました。
  
帰宅途中の車内で、社の他事業所の従業員が亡くなったとのニュースを聞きました。どこまで被害が広がっているのか、まったく分かりません。
不安を抱えながら、渋滞に巻き込まれつつ、家に向かいます。
  
先のメールから約1時間後、携帯電話に公衆電話から着信がありました。すぐに出ると、やはりヨメです。携帯が全くつながらないため、公衆電話から電話しているとの事。
・電車から降ろされて、徒歩で池袋に戻っている
・電車は動く見込みがない
・池袋は大混雑&大渋滞で身動き出来ない
・このまま池袋に居ても何も出来ないので、まずは大山(板橋)に徒歩で向かう
こんな内容を話しました。
大山は以前住んでいた街です。土地勘もあり、池袋から3駅で徒歩30分ほど。此処に向かうのは良いアイディアでした。
なんとかして大山まで迎えに行く事にし、落ち合う場所を決め、電話を切りました。
  
しかし、渋滞はますます酷くなっていくようで、移動は困難になってきました。荒川を渡る橋の前で、全く動きません。NHKの速報を見ながら、ただ待つ事しかできません。
  
先の電話から約1時間後、今度はヨメの携帯より電話がありました。こちらからもメールで連絡をしていましたが、全く返信がなかったので急いで電話を取ります。
『大山には着いたが、そっちの方はいつ頃着きそうか?このまま待っていて大丈夫なのか?』
こちらは渋滞に巻き込まれ、大山着が何時になるか全く想像が付きません。ヨメにはそのことを伝え、ホテルは無理でもマンガ喫茶か何か、とにかく夜を過ごせる場所を探してくれと伝えました。
  
筑波サーキットを出て4時間。ようやく荒川を渡り、川越を通過しました。
通常であれば筑波サーキットから大山までは、高速を使って1時間半ほどなのですが。
ちょうどその頃、ヨメからメールが入りました。大山でホテルを確保出来たそうです。まずは一安心でした。
ただそのホテルも混乱しているようで、空き室はあるもののチェックインは出来ないとの事。フロント前で待っているそうです。
ホテルの場所がわかったので、ナビで目的地を再設定して向かいます。
川越街道が混雑している事は容易に想像が付いたので、裏道を進みました。これで少々時間を稼げたのですが、最後にR17号に合流したところでやはり渋滞です。このあたりは裏道も一方通行だらけで上手く使えないため、諦めて渋滞に乗る事にしました。
  
R17号の渋滞に巻き込まれてから一時間ちょっと。ようやくホテル近傍に着きました。目的のホテルも見付かり、少々行き違いはあったものの、ようやくヨメと合流。筑波サーキットを出てから7時間、22時30分の事でした。
ホテルはキャンセルです。キャンセル待ちの人が何人もいたので、それはそれで良かったかもしれません。
合流出来たので、あとは自宅に帰るのみです。何時間掛かるか分かりませんでしたが、ガソリンもあるし、道が分断されているわけでもなさそうだし、時間の問題だけになったので、気持ちが非常に楽になりました。
ただヨメは車内のTVで初めて地震の全貌を知ったようで、声を無くしていました。
  
川越街道は、徒歩で自宅に向かう人が群れをなしていました。異様な光景でした。TVの特番か映画のようでした。
板橋を抜け、成増を抜け、和光を抜け、朝霞を通過。日付は替わり午前2時近くとなりました。2人とも体力が厳しくなってきたので、裏道に避難。道中の広めのコンビニで小休止することにしました。筑波サーキットを出てから10時間超。流石に疲れていました。
  
ふと気付くと午前4時半。約2時間ほど寝ていたようです。再出発です。
裏道を暫く進み川越街道に戻ると、流石に渋滞は解消していました。しかし車の数は相当多いです。歩いている人も、自転車に乗っている人も見掛けます。頑張ってと念じるだけです。
  
午前5時過ぎ、ようやく帰宅しました。筑波サーキットを出てから14時間弱。長かったです。
  
家の中は全くと言っていいほど被害はありませんでした。CDや本が散乱し、本棚の上のフィギュアが落下して首が取れたりしていましたが…。
冷蔵庫は5cmほど動いていましたし、電子レンジも移動していました。震度5だったらしいのですが、やはり相当揺れたようです。
一番ヤバイと思っていたガレージも、奇跡的に被害ゼロでした。確認する前は滅茶苦茶でも仕方ないと覚悟していたで、驚きました。家自体の強固な構造体に守られていたのかもしれません。でもなんだか申し訳ない気持ちにもなりました。
  
その夜というか既に朝ですが、疲れて眠いはずなのに全く眠れません。現実と思いたくない様子をTVで見るだけです。花粉が異常に飛散しているようで、目と鼻のアレルギー症状が厳しい事になっていました。
ガスも電気も来ており、ライフラインは問題ありませんでした。有り難い事に風呂にも入れました。
でもその他に何も出来ません。ボーっとTVを眺めるだけです。
  
とりあえずは非常持ち出し袋を確認し、風呂を洗って新しい水を張り、米を炊きました。節電のためにエアコンを止めて石油ストーブに変えました。その位しかできませんでした。
道中で親兄弟の無事は確認出来ました。人的にも物質的にも被害はありませんでした。素直に嬉しかったです。
  
被災地に対し出来る事。
多分、地道な事しかないと思います。節電する、渋滞させないためになるべく車では外出しない、義援金を送る…。
可能な限り通常の生活を送る事も大切だと思います。経済活動を止めない事も必要です。
ウチの会社も工場は操業が止まるようですが、自分の事業所は通常稼働するようなので、いつも通りに出社するつもりです。
いつも通りに頑張って仕事しようと思います。
  

被災地の皆さん、世界中が応援しています。「頑張って下さい!」